Grandpa's Diary「アメリカ18日間の思い出」① 1979年10月16日

「アメリカ18日間の思い出」

自 昭和54年10月16日
至      11月 2日


付記
 これは、あくまでも プライベイトの旅行記である。
 旅行中のメモをたよりに書いて見たが大分、書きもれがあるようだ。あわただしい旅のため記憶が混乱している。アメリカの国柄などの参考になれば幸です。
(誤字脱字はお許し下さい)




アメリカの18日間
1979.10.16~11.2
1分科会  
  1日目 10月16日(火)
  午后4時25分発の日航機に乗る。出発前の団員の顔は誰れも緊張しきっていた。私も飛行機に乗ること自身が2回目である。勿論海外へ出かけることなど、初めてである。見送りには妻と長女夫妻、次女夫妻が来てくれた。皆の顔も心配そうで落ちつかない。
 東京インターの専用バスに乗ったところで覚悟が決まった。翌日8時45分サンフランシスコ空港着時差の関係でその日も10月16日である。飛行中に現在、東方に向けて風速300粁の風が吹いていて、その気流に乗っているので予定よりかなり早く到着する筈ですというアナウンスがあった。 そんな関係から約一時間早く到着してしまった。風速300粁など我々の常識ではとても考えられない。したがって実際の飛行時間は8時間ぐらい。
 多分、2時間か3時間は寝たのだろうか。思ったより早く到着したような気がした。
 9時40分、バスでサンフランシスコ市内見学。
金門橋などを見学。昼食はレストランサベラーズでのカニ料理だった。初めてのアメリカの土地での緊張のせいだろうか、食欲全くなし。日本からの新婚旅行のツアーが2組ほど同じように緊張した顔で食事をしていたのが印象的だった。
 食事中もさかんに頭が回転している。アメリカの風土、アメリカ人気質などを見つだそうと一生懸命なのだろう。
 出発前に、むさぼるように読んだ数冊の本による予備知識が正しいかどうか。私も案外せっかちだと思う。
食事中にこんなことを発見した。
 お客の帰った後のテーブルの上がほんの数分間かたづけられないままになっていたところ、多分マネジャーと思われる男が大声をあげて店のメイドを呼びつけすぐに片づけるように命じていた。店全体に対するマネジャーの気のくばりようと店員に対する適切な指示と命令。
 日本人的なあまさと違って時間中の仕事の密度の濃さの一面をみせつけられたような気がした。
「トップ層の仕事に対する積極性は日本人以上である」という渡米前に読んだ本の内容を思い出した。
 この事実が私の今回のアメリカ視察の第一番目の勉強である。
 食事后、2時間程自由行動。港近くの土産物店などを見物。日本人の観光客の多いのに驚いた。日本の観光地と同様にまがい物の貴金属の店が立ち並んでいるだけで目新しいものはなかった。
 午后も引続いて市内見物。サンフランシスコの町には山が多い。せいぜい金山程度の髙さである。
 山の上から見る町の景色は美しかった。特に住宅地の家家は白色が多く、眞白で新しい家ばかりのように見える。
 通訳の加納さんに聞いたところ
「この辺の人達は4年毎ぐらいに家を買い替える」とのことその度に古い家を売りに出すことになる訳だ。
 そこで古い家の下取りを髙くするために暇をつくってはペンキ塗りをしているのだとのこと。
 どうりで家がみんなきれいだった。途中ゴールデン公園へ寄る。なかに立派な日本庭園があった。
 京都にでもいるような気がした。 3時半頃、ホテルにつく。第1日目なので6時から全体会食。ホテルから歩いて15分程度の中華料理店だった。
 夕食後、3,4人で一寸、町を散歩する。コールガールにしつこく追いかけられる。
 ホテルの部屋でも、この類の女性がドアをノックした。
 12時床についたがなかなか寝つかれない。

ホテル名。ホリディイン    
30階建。

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