Grandpa's Diary「アメリカ18日間の思い出」12 1979年10月27日

  12日目  10月27日(土)  ニューヨーク
日程   市内見学

 昨夜は11時30分ホテルに帰る。昼が眠いことは分っていながら夜が遅くなる。日報などをまとめたら1時。
 家へ電話をする。未央(孫)と話す。
 7時30分。起床。9時30分バスで市内見学に出発。
 今朝は寒い。日本の眞冬ぐらい。いまにも雪が降りそうな曇り空のため特に寒さを感じる。
 リンカーンセンター(音樂堂)に行く。あまり興味がないのと寒いのとですぐバスに帰る。
 外人の団体が何組もいたが持っているカメラは殆んど日本製のものだ。土曜日のせいか街を歩く人は少ない。
 高層建築ばかり目立つが歴史の重みが感じられない。
 聖ヨハネス教会を見る。
 やはり教会だけは別だ。しかしモントリオールの教会には全然かなわない。
 黒人スラム街を通る。1/4は失業者だとのこと。
 恥がないのではなく、仕事をする気がないのだ。
 まさに戦後の街を思い出させるようにビルのガラスもこわれたものが多い。しかしそうした家の前にも高級車がおいてあった。
 寫眞をとることも禁止された。
 ヨイドレ街を通る。昼ひなか、しかもこんな寒空に酔いつぶれが歩道に寝ころんでいる。道路はきたないしい紙くずで一杯だ。掃除などした形跡もない。
 映画街は街全体がいかがわしい映画館ばかり。ピンクレディーのミィーとケイの大きな立看板があった。
 「自由の女神」の所でバスから降りる。観光客で一杯。
 寒いので早々にバスへ。国連事務局へ。一階は完全に観光地だ。みんな国連切手などを買う。最後にデパートなどの立ち並ぶ5番街を通った。こゝだけは治安がよくて安心出来るらしい。途中、「宮崎」という日本人の土産物屋へ寄る。バスはこゝで解散。
 目の色をかえて土産物さがし。時計。サイフ。キィホルダーなど大体買いこんだ。
 橋本さんと一緒に帰る予定にしていたが、私と石井さんの二人だけが最後に残ってしまった。
 橋本さんの姿が見えなかったので諦めて2人で帰る。
 途中でタクシーをひろう。
 ホテルにはまだ橋本(千代田之□)さんは帰っていなかった。間もなく橋本さん帰る。我々の帰るときトイレにいたらしい。1人ぼっちの橋本さんは西も東も分らず、しかもうす暗くなった治安の悪い街をかけ足で帰ってきたという。一人でかけている彼の気持が手にとるように分った。
 申し訳のない事をしたと思う。
 ニューヨークの交通網は車と地下鉄だけ。電線はすべて地下。道路の下に暖房設備があって冬でも道路が凍らないとのこと。さすがにアメリカだと思う。
 しかし街のきたなさにも驚いた。繁華街も紙くずだらけ。エンパイヤービルで5分休憩があっても誰もバスから降りる人のいない程だった。歴史の重みがないから感激がないのだろうか。とにかく、ビルと紙くずの街。
 それがニューヨークの印象だった。
 5時。すし八で寿司を食う。マグロが美味かった。街をぶらぶらしたが何も買わず。
 子供に頼まれた「グッチー」の店を発見したのが6時5分過ぎ。6時閉店なので買うことが出来ない。
 アメリカの店は徹底している。閉店時間をすぎれば絶対に売ってくれない。日本とは全たく違う。
 雨が降ってきたが傘をさす人が一人もいない。傘はささないのだとのこと。雨の降り方が違うのかも知れない。

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